医療法人社団 誠友会 南部病院

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理事長挨拶



ふと思い出すもの
理事長 八尋 克三
八尋理事長
40年前、霧島市の病院に出張していましたが、隣の社宅に住むA先輩の奥さんが当時幼稚園児のお子さんについて「○○ちゃんは、古ぼけたボロボロの毛布がお気に入りで、幼稚園に行くようになっても寝るときはそれにくるまっていないと愚図るんですよ」と困ったように話されていたことを思い出しています。◯○ちゃんは乳呑児のころからこの毛布にくるまるとご機嫌が治っていたとのことで、私が見た時は半分雑巾のようになっていました。奥さんは新しいものに変えようと似たようなものを買ってきたけど、「だめなのよ」ということであった。
親を失った動物は、生まれたての時に体を包まれた毛布か何かを親のように慕うと聞いたことがあります。それなりに理屈や学説があるようですが、ここではその話には触れないでおきます。
私にも○○ちゃんほどの拘りはないけれど、何かの拍子にとても懐かしく思いだすものがあります。ここでは私の「ふと思い出すもの」について、これから何年か後には忘却の彼方に消え去るかも知れないので、覚えているうちに書いてみます。

51年前、大学に入学したころ、お袋さんが「お前も上着くらいいるやろう」と買ってくれたベージュ色の上着がありました。この服を博多の川端商店街の紳士服屋で買ったことや店内でお袋さんがあれこれ見繕っている情景をよく覚えています。柔らかな生地で上品な色合いの今風で言えばジャッケトでしたが、長い間私のお気に入りでした。最近でもこれと同じ色の上着を見ると手に取ってみますが、今は手元にないこの上着を思い出しているような気がします。お袋さんと買い物した数少ない出来事であったからなのか、初めてのジャケットで気に入ったからなのか、浪人して大学に入った歓びを象徴するものとしてなのか、どうしてこのように鮮明に覚えているか分かりません。

次に想い出すのは60年以上前の博多の高宮小学5年生のころのことです。担任の佐伯先生が工作の時間に、五つの木片のセットを全員に配りました。組み立てると12センチほどの高さの筆立になります。先生から「筆立ての四つの面に好きな彫刻をしなさい」という指示がありました。昨今のように怪我をしたらクレームをつける親がいなかったからでしょうか、この当時は彫刻刀やナイフなどを使った工作の授業が多かったように思います。いろいろ考えたのでしょうが、一面には上向きに泳いでいる緋鯉、別の二つの面に相対してグローブをつけた犬のボクサー、そして最後の面にペンギンを彫りました。その後、着色しニスを塗って完成させましたが、出来上がるまで何日もかかったと思います。この筆立てはシンプルだけにとても頑丈に仕上がり、その後10年前までの50年間、私の机の上に置いて筆立てとして使っていました。底には、赤字で「10」と担任の佐伯先生が記されています。おそらく10点をもらったものと思います。5年4組「やひろかつみ」と私の字で書いています。この当時「かつぞう」という名前が嫌いで好んで「かつみ」と書いていたことも思い出させてくれます。ところが、10年前のある日この筆立てが私の机から消えてしまいました。院長室の掃除をしてくれた人が「どうしてこんなボロボロのものを」と考えたようで処分されていました。しばらくあちこちと探しましたが、ついに見つからないままです。目をつむると向かい合う色違いのトランクスを履きボクシングスタイルの2匹の犬や赤い鯉や横を向いて立っているペンギンが見えます。先生の書かれた「10」点そして「やひろかつみ」の僕の字が鮮やかによみがえります。
この高宮小学校の小学校3年から6年の4年間は、転校前の小学校2年時の通信簿に「授業中に一言も発言しません」と書かれたように人生から落ちこぼれて行きそうな偏屈な私を大きく変えてくれた期間でした。筆立ては当時につながる唯一残っていたものでした。筆立てに目をやると「今日は発表しよう」と思いながら通っていたことや何かと気にかけていただいた佐伯先生や同級生たちのことが思い出されました。最近も古いダンボール箱を見つけた時に「もしかして」と思わず探している自分がいますが、今後も同じことをしそうです。

三つめは野球のグローブです。これも50年以上前のことですが、小学校から帰るとすぐに鞄を放り投げて野球に出かけていました。高宮小学校の前にあった一本木公園やあちこちの空き地が我々の野球場でした。昭和30年ころのことですから、戦後数年たっていましたが、博多ではまだ多くの空き地があり、子供たちの自由な遊び場になっていました。その頃のことなので、満足なグローブやバット、ボールがあるはずもなく、傷だらけのバットや使い古してツルツルになったボール、布を巻いたようなグローブを大事に使っていました。私の思い出のグローブは、こげ茶色でどっしりとした本革制のものでした。実は、これは私のではなく3歳上のスポーツ万能の兄のものでした。兄は、毎日オイルを刷り込んで念入りに手入れしていました。ボールをグローブに何度も投げ入れては、革を柔らかくして手に馴染ませようとしている兄の後ろ姿や本革とオイルの臭いを覚えています。兄の目を盗んでこっそりと使ったことがありましたが、私の黄色の薄いグローブとは違って、ボールがすっぽりと入り込む感触がありました。その後も40歳過ぎまで30年間ほど野球をしていましたので、この間に多くのグローブを手に入れましたが、思い出すのは兄のこげ茶のグローブと私の壊れかけた黄色のグローブです。

三つの今はない「ふと思い出すもの」について書いてみましたが、最後に手元にあるものについて触れてみます。
寝室兼書斎みたいな私の部屋の出窓にギターを置いています。51年前、鹿児島大学に入学した時に、「紫荘」という木造2階建で台風が来たら全員で母屋に避難するような古い下宿に入りました。結局、ここに4年間住むことになったのですが、このギターは同時に入居した工学部の松下君に感化されて買ったものです。彼の演奏する「禁じられた遊び」を聞いたものは、たいへんなギターリストがいると思うほどの腕前でしたが、欠点が一つありました.それはまともに弾けるのがその一曲だけということでした。紫荘の4年間は私の青春時代真只中であったのですが、そのあたりのことは別の機会に書いてみたいと思っています。ギターは引っ越しのたびに連れてきましたが、いつのまにか手にすることが無くなり、10曲ほど弾けたのに今は一曲も弾けなくなっています。

それでも捨てがたくて今は出窓に飾っています。明るい茶色からこげ茶色に変色にしてきたギターを眺めていると、ギターの周りには「紫荘」のころの空気が今も漂っているような気がします。思い出のものとは、そのような空気を纏っているように思っています。 理事長似顔絵

最新の理事長の挨拶・雑感

▶ 理事長 八尋 克三 【胃・腸・膵臓・胆石症】

昭和46年 鹿児島大学医学部卒
日本外科学会指導医
日本消化器病学会専門医
日本消化器外科学会会員
日本肝胆膵外科学会会員
日本臨床外科学会会員

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