医療法人社団 誠友会 南部病院

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理事長挨拶



おふくろさんと般若心経
理事長 八尋 克三
八尋理事長
「仏説魔訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多・・・」般若心経の冒頭の一節である。お袋さんは毎朝、仏壇の横に祭っているお不動さんに向かって般若心経を唱えるのを日課にしていた。毎朝お水を替え、炊き立てのご飯を供えるのは当然のことで、折々に果物やお菓子を並べるし特別の日には榊も用意した。毎朝のお袋さんの読経で、「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが、私もいつの間にかお袋さんが唱えるままに般若心経を覚えていた。お経はこの読経のリズム即ち節回しが大切であり、丁寧にゆっくり正確に間違いなく読んでも、聞く者には全く「ありがたみ」を感じないものである。お経は心を鎮める一種の音楽であろうと思っている。
学生のころ、鹿児島から博多へ帰省した時、玄関に入るとすぐに仏間のお袋さんの読経が聞こえてくると、家に帰ってきたという安堵感を覚えていた。お経とはそういったものであろうと考えている。お袋さんもあちこちのお不動さんをお参りしているうちに般若心経を自然に覚えたようである。節回しだけでなく「ポクポク」と、木魚でリズムを取る要領も会得していた。
お袋さんは体格が良く、色白丸顔で華やかな顔立ちであった。和服姿のこともあったが、多くは明るくはっきりとした色合いの洋装を好んでいた。大正(6年)生まれであったが、現在風のネックレスや指輪が好きでそれもとにかく大きいのを好んで身に着けていた。時々遊びに来ていたアメリカの子供から「ハワイのおばちゃん」と呼ばれていたし、その子が来ると、無理やり「ハグ」をし、ほっぺに「チュ」で歓迎していた。傍で見ていて、お袋さんを童女のような人だと思っていたが、これはお袋さんにすればごく普通の振る舞いであった。もしも、お袋さんがハワイのワイキキの浜辺でムームーを着て座っていたとしても、ハワイの陽気な小母さんとして充分通用するだろうと確信している。

お袋さんは裕福な商家に何不自由なく育っており、お袋の魅力である天真爛漫さや無邪気さはこの生い立ちにあると思うが、一方、祖父が早く亡くなり、祖母が商売の切り盛りで忙しく、お袋から「母親の愛情に飢えて育った」と聞いたことがあるが、そのことが感情を抑えることが苦手な面を持つことになったのかもしれない。自分の感情に従って、時と場所を選ばず「何でもすぐに思ったことをそのまま言う」ことが多く、他人の不興を買うことが多かった。子供ながらに、「もう少し上手に生きればいいのに」とお袋のために残念な気持ちになっていた。

戦後の困難な生活のなかで、嫁入りに持ってきた立派な桐箪笥の中の豪華な着物や帯が次々消えていくような耐乏生活や次々と起こる家庭内外の軋轢は、世渡り下手のお袋さんには人一倍辛かったのではなかろうか。正直さや率直さが裏目裏目に出るような苦渋を、お不動さんを信仰し縋ることで「心の安寧」を保っていたのではないかと思っている。妹を背負い兄と私の手を引いて、川沿いの長い田舎道を歩いていたあの光景は、お不動さん参りの日々だったように覚えている。お袋さんが最後まで、生来の天真爛漫さを持ち続けることができたのは「お不動様」を信じて縋ることができたからであろう。

ここで、昭和45,6年ころの実家の仏間の状況を思い浮かべてみることにする。私が鹿児島から帰省すると、仏間から「般若心経」を唱える声がしている。元気そうな声で先ずは安心した。熱心に読経していると思っていると読経の合間に「帰ってきたとね」とお袋さんが大きな声をかけてきた。仏間に行くと木魚を叩きながらお経をあげている。顔を半分こちらに向けて「今晩、何ば食べたかとね」と聞いてきた。「お肉か?鶏か?」と追い打ちをかけてくる。お袋さんの読経の続きが始まったので、思案していると「板付けの「鶏しげ」が旨かったい」と一人で決め「○子さ~ん」と大声で2階にいる義理の姉を呼ぶ。その後木魚のポクポクとお経の続きが始まる。義姉が来るとポクポクを続けたまま、時間や人数などの細かな指示をしている。お袋さんの読経は毎回このように忙しいのである。

お袋さんは、お不動さんには、大変多くの願いことをしていたが、身の丈40センチ足らずのお不動さんには随分と荷が重かったのではなかったろうかと思っている。

お不動さんには「不動ちゃん、言うこと聞いてくれんといかんばい」と友人のように語りかけているのをよく見かけていた。親父が亡くなった後、話し相手として、朝夕、話しかけていたのかもしれない。お袋さんは大変多くのことをお不動さんに注文していたが、いつも変わらないお願いがあった。怖がりのお袋さんは病気で苦しむことを一番恐れていた。私にも帰省するたびに「ガンになったら注射一発で楽にしてね」とよく言い聞かされていた。お不動さんには「苦しまんように寝とるうちにお迎えに来てください。」そのようにいつも祈っていた。

平成も数年経ったお雛祭りの日にお袋さんは眠ったように穏やかな顔をして亡くなっていた。服装の乱れもなく、誰もが眠っていると思ったそうである。前の夜、お袋さんは姪の結婚式に出る自分の服がやっと決まったとたいそう喜んでいたという。おしゃれなお袋さんが気に入った衣装を見つけて、はしゃいでいる様子が手に取るようにわかる。その夜、お気に入りの服装を着て、姪の結婚式に出る姿を夢見ながら、お不動さんに連れられて逝ったと思っている。お不動さんが「お袋さんの願い」をそのまま聞き届けてくれ、しかも前日にはおしゃれなお袋さんに粋な計らいまでしてくれたのだと私は信じている。お袋さんが亡くなった朝、不思議なことに、私は朝起きた時から動悸がしていた。滅多にないことなのでどうしたのかなと思っていた矢先に福岡から電話があった。これは「早う福岡に帰って来んね。宮崎に婿にやっとらんけんね。」と電話のたびに私を叱っていたお袋さんの最後のげん骨玉だったのかもしれない。 お袋さんには会いたいと思っている。その時が来たら、多分迎えに来てくれそうだし、博多弁の大声で呼んでくれるので間違いなく会えそうである。先ず、何といって絶対に目立っているから万が一もはぐれることは無いと確信している。

私はドライブなどで神社やお寺を見かけると、自然に手を合わせている。稀にではあるが「般若心経」を唱えて心が落ち着いたこともある。そういった時には、お袋さんを思い出していることが多い。お袋さんはいつまでも子供の中にいてくれるのだなとありがたく思っている。 理事長似顔絵

最新の理事長の挨拶・雑感

▶ 理事長 八尋 克三 【胃・腸・膵臓・胆石症】

昭和46年 鹿児島大学医学部卒
日本外科学会指導医
日本消化器病学会専門医
日本消化器外科学会会員
日本肝胆膵外科学会会員
日本臨床外科学会会員

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