医療法人社団 誠友会 南部病院

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理事長挨拶



邯鄲(かんたん)のあゆみ
理事長 八尋 克三
八尋理事長
小鳥を包み込むようにやさしく、目を離すな、落としどころを考えよ、悪い結果を引き摺らないで思い切りよく、これは恋愛の指南ではないのである。更に、丹田に力を入れて大地をしっかり掴め、脇を締めて軸はしっかり保て、力まず、大きくゆったりと、胸を張り姿勢を正して目指す方向を見据えよ、これも人生訓ではないのである。

これらの言葉は小生の手帳に折々に記した自らに向けたコメントなのである。 もう少し詳しく述べると、ゴルフラウンド後にその日のプレイを振り返って次回の注意点を書き留めたものなのである。毎回のように異なった言葉を書き連ねているということは、一つを直すと別の問題点が浮かび上がっていることを示している。つまりは、書き留めた注意点を実行したが、結果につながらないので、ならばと別の課題をひねり出して持ち帰っていることになる。多くの同好のアマチュアは大なり小なり同じことをしていると思うが、吾輩はあるスイング理論がうまくいかないと、あっさりと別の考えを素直に受け入れる傾向があるようである。その要因としては定型を知らないので発想が自由なのである。「発想が自由?」これを理解してもらうには、吾輩のゴルフの来し方を紐解かねば分かっていただけないと思う。そこで過去を振り返り自らを分析してみることにした。まず第一には、吾輩はアマチュアの中でもいわゆるレッスンプロに教えを乞うたことがない純粋種であること。第2に吾輩にゴルフを勧め、手ほどきをしたM氏も同じ純粋種であるが、吾輩に輪をかけた頑固なほどの唯我独尊の純血主義であること。第3にM氏の指導が、ゴルフはスコアを競うスポーツであることを度外視し、飛ばすことを至上の目的にしている極めて稀な少数派に属していること。第4にこれはどちらかというと利点に属すかもしれないが、飛びを求めてスコアにあまり拘らないので何打叩いても一向に平気なのである。これは「懲りない」という厄介な問題点につながっていると思われる。

以上のような、ゴルフ感の持ち主から浮かび上がってくるゴルファーは、スコアを度外視し1打でもいいから会心の当たりがあれば満足して帰れるのである。これはこれで、一つのゴルフの楽しみ方ではあるが、最近、古希を過ぎた吾輩の行く末をつらつら考えるに、今までのように飛びだけに執着していると、老後を迎えつつある吾輩としては「野垂れ死にゴルフ」になってしまうことにやっと気づいた。そこで吾輩は、M氏の飛びだけを追求する呪縛から逃れるために冒頭に書いた反省点をしたためて、独自のゴルフ道を目指すことにしたのである。第1に書いたように、レッスンプロのような指導者を持たない吾輩の最大の利点は、発想もまた自由なのである。これを人は試行錯誤というが、それは違う「毎回異なった夢を持つ」ことができるのである。当然のことではあるが常道ではないので、すぐに打ちのめされるが、また新しい「ひらめき」を楽しむことができるのである。毎回新しい試みをもって楽しんでいる吾輩は、多くのゴルファーが、型にはまったスイングに拘泥し神経をすり減らしているのが気の毒でならない。

吾輩は今、ゴルフ発祥の地スコットランドのリンクスを想起している。海岸から押し寄せる強風にさらされながら、球も見えない深いブッシュや、一生出ないかと思われるバンカーと格闘することを、楽しむのがゴルフの原点なのである。吾輩のゴルフ道は「無心になって、ただボールを打つ」というゴルフの大本に立ち返って歩もうとしているように感じている。思い返せば、ボールを林の奥に打ち込み横に出せば簡単であるのに、ピン方向の狭い空間を無謀にも狙っているM氏の孤高の姿や、また、OBゾーンをはるかに超えていくボールを見やりながら「今のはすごく飛んだ」と喜んでいるM氏の横顔を思い返している。彼もまた、自己流のゴルフを突き進んでいるのである。

古希を過ぎた吾輩とM氏は、土曜か日曜に同じ練習場で毎週のように顔をあわせている。二人とも前回のことはあっさりと忘れて、新たな「閃きや独自のスイング理論」を具現すべく格闘しているのである。そしてその日の数少ないまぐれ当たりのショットを胸に明日のラウンドに夢をはせている。これ以上のゴルフの楽しみ方を吾輩は知らない。なぜなら、また次の週も同じように「新たな閃きや思いつきスイング」を抱いて新たな挑戦を始めることができるからである。多くのゴルファーが一つのスイングを金科玉条として辟易しながら繰り返し練習しているのに比べ、我々はいつも独自の理想を求めて流転し続けるので飽きないのである。

さて、表題の「邯鄲の歩み」であるが、これは中国の故事である。広辞苑によると「趙の邯鄲の人の歩みの方が上品なのを見て、燕の寿陵からやって来た者が、まねをしようとしたが熟達しないうちに帰国することになり、故国の歩き方を忘れてしまって這って帰ったという故事」注釈として「みだりに自分の本分を捨てて他をまねすれば、両方とも駄目になることのたとえ」とある。 注釈を見た諸兄の中には「語るに落ちたな」君のゴルフはまさに「邯鄲の歩み」じゃないかと早計される向きも多かろうと思う。しかし、燕の愚人と決定的に異なるのは、愚人が邯鄲の人の歩みをひたすら真似ようとしているが、吾輩は自らが感得した閃きに自己流の創意工夫を加えているのであって断じてある人の真似をしてはいないのである。似ている部分があるとすれば、過っての飛びもスコアも良かった時のスイングをすっかり忘れてしまって取り戻せないことにある。そらみろ、故事と同じじゃないかと早とちりする輩もいると思うが、これも似て非なるものなのである。愚人は「悄然として這って帰る」のであるが、吾輩は「もっと優れた歩き方」をあくがれ求めてこれから先も探し続けるのである。ここに決定的な差がある。ただし、燕の愚人が自らの歩みを忘れるほど懸命に真似をし続けた努力は驚嘆すべきことであり、敬意を表したい。吾輩もこのままで終わってしまうと、浅慮の世間から燕の愚人と同列に扱われかねないことを危惧している。

そうであるから今週も来週も「閃き」を信じて球を打ち続けなければならないのである。喜びは結果を得るだけではない、自己流でも何でもいいから上を目指し続けるところにこそもっと大きな喜びがあるのである。吾輩のゴルフ道を表す結論を得て満足している。 理事長似顔絵

最新の理事長の挨拶・雑感

▶ 理事長 八尋 克三 【胃・腸・膵臓・胆石症】

昭和46年 鹿児島大学医学部卒
日本外科学会指導医
日本消化器病学会専門医
日本消化器外科学会会員
日本肝胆膵外科学会会員
日本臨床外科学会会員

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