医療法人社団 誠友会 南部病院

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救急の方の診察

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理事長挨拶



60年前のこと
理事長 八尋 克三
八尋理事長
もう60年近く前のことであるが、私は、当時福岡市立高宮小学校に通っていた。その時5年と6年次の担任が佐伯先生であった。佐伯先生については、ここでは詳しくは述べないが私にとっては人生の岐路に巡り合った恩師と思っている。先生が昨年末に亡くなられたので、同級生7名と先生のご自宅がある西鉄大牟田線春日原駅に集まることになっていた。偶然ではあるが、私も13才から20才まで春日原に住んでいた。いまもその家には兄夫婦が住み暮らしている。そういうこともあって、同級生よりも早く春日原駅に来て、なつかしい気分で駅周辺を散策した。その折の面白い経験を書いたのが、以下の小文である。

中学生から大学入学までの10年ほど住んでいた春日原は、博多のベットタウンとして発展しており、当時からするとかなり変貌していたが、ここそこに往時の様子が残っていた。驚いたのは当時中学校の通学路にあった古い2階建てが1軒だけ往時のまま残っていたことである。この家は確か1年下のM嬢が住んでいたはずである。通学中にふと見上げたとき2階にいたM嬢と目が合ったことがあったがそんなことも思い出していた。歩き疲れて、とある古い朽ち果てそうな喫茶店に入ってみた。その店はほかに休むところがあれば決して入らないだろうと思うようなうす暗い狭い路地の奥にあった。恐る恐る入ってみると壊れかけた古民家を何とか雨露しのげるようにしたような店で20坪くらいであった。床板はなく、土間に家の土台がむき出しになっていた。椅子も板切れを適当に釘づけしたものであった。テーブルだけは大きな古材から設えたと思われた。唯一おしゃれなのは、コーヒーカップが何十個も壁際に飾ってあって、好きなものを選べるようになっていたことであった。張り紙が1枚ありコーヒー一杯450円と書いてあった。そのほかには何も案内らしきものは見当たらなかった。70台後半のマスターは寡黙で、ほとんどの時間は横向きなって右奥にあるテレビを黙って見入っていた。音がしなかったので風土記みたいなものを見ているのかなと思った。客は70代後半のおしゃれな老夫人一人であり、昔日の華やかさを偲ばせるコートをまとい、左手にある薄緑色の大きな指輪が目に付いた。この店の左側は8畳くらいの30センチほど高くした小さな舞台みたいなのがあって、若者二人が交互にギター弾きながらどことなく聞いたような静かな曲を歌っていた。時々コスモスとか涙そうそうや22才の別れなどを歌ったので老婦人と小生に気を使ったのかもしれなかった。近在に住む若人が、遠慮しながら歌を披露しているような感じがして、好ましいものであった。老婦人と小生そして二人の若者は、それぞれ自分だけの気ままな時間をすごしていたが、店の中には気づまりな雰囲気はなかった。そのうち、老婦人が若者に、歌の題名を聞くことがあって、それを契機に少しずつぼそぼそと会話が始まった。とぎれとぎれの会話から、老婦人がカメラが好きで、あちこち旅行しては風景などを撮っていたことやテーブル上のペン立てにしている石の由来を老婦人が尋ねたことから、石はマスターの娘さんが海岸から拾ってきたということ、マスターにはもうお一人娘さんがいること、そして娘さんたちは時折この店にも顔を出すことも分かった。二人の若者は、この周辺に住んでいて、たまにこの店に現れてはマスターにお願いして弾き語りを楽しんでいるといった事情も分かった。若者が手にしているコーヒー1杯ずつがそのお礼のようでもあった。

1時間少しの間に分かったことはこれがすべてであった。この店には時間がゆっくり流れていた。不思議な世界に紛れ込んだような気分であった。この店での1時間ほどで足の疲れだけでなく、いくつかのたまっていた疲労感が取れたように感じながら店を出た。 理事長似顔絵

最新の理事長の挨拶・雑感

▶ 理事長 八尋 克三 【胃・腸・膵臓・胆石症】

昭和46年 鹿児島大学医学部卒
日本外科学会指導医
日本消化器病学会専門医
日本消化器外科学会会員
日本肝胆膵外科学会会員
日本臨床外科学会会員

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